妙春堂の日常ーアラフィフ婚のすゝめー

アラフィフ婚にむけての日常つれづれ日記

【連載】アラフィフ婚への道④食い違いと擦り合わせ

結婚式の見積書を見た虹夫さんが言った。

 

「リングピローがキャンペーンで無料で入ってるけど、使わないなら使わないでいいんよな?」

 

ん? まぁ、それでも構わないとは思うけど、使わないの? なんで?

私は無言でパニック。

 

「指輪、無いんやし」

 

ん? え? あれ?

 

もしかしなくても、私が婚約指輪はいらないと言ったことを拡大解釈して、結婚指輪もいらないと思ってらっしゃる?

あら嫌だわあなた。お待ちになって。

 

婚約指輪は日常的に身に着ける訳でもないのに高価で華美。実用性を感じないので、それならば『判子』が欲しいのだとお願いしたのですよ私は。

結婚指輪もいらいないなんて一言も申しておりませんわ。

 

しかし完全に『指輪=不要』と思い込んでいる虹夫さんに、どう言えば良いのか分からずにモヤモヤを抱えたまま黙り込む私。

ここですぐに言えれば良かったのだろうか。

 

別の日には、虹夫さんがお母さまとのやり取りを話してくれた。

 

「指輪はどうするの? て言うから、指輪はいらないから判子が欲しいっていうからあげた、て話した」と。

 

お母さまの反応は? と聞いたら「ポカーンとしてた」と笑う虹夫さん。

 

ごめんなさい、お母さま。違うんです。いや、違わないけど違うんです。

 

どうすればこの誤解を解けるだろうかと考えあぐねていたけれど、ある日虹夫さんのお友達のお店で飲んでいた際、お店の女の子が指輪はどうするんですか? と聞いてくれたのを機に思い切って打ち明けた。

 

女の子にいつものように「指輪はいらないって言うから」と話す虹夫さんに、実はね、と切り出した。

 

「確かに婚約指輪は実用的ではないと思うので、それなら実用性のある判子が欲しいとは言った。でもそれは婚約指輪であって、結婚指輪ではないのよ?」と。

 

ポカンとする虹夫さん。

 

「いらんって言ったやん」

 

「婚約指輪はね」

 

「いやいや、指輪はって言ったやん」

 

そこで過去のブログをスマホで開き、証拠書類さながらに提示。私はあくまでも『婚約指輪』にしか言及していないことを示した。

困惑する虹夫さん。

笑ってみている女の子。

 

ちょっとズルくて残酷だったかな? とは思いつつ、良い機会なのでそこで一通り私の願望は伝えた。ごめんなさい、結婚指輪は欲しいです。

 

でも、話した結果虹夫さんがやはり結婚指輪は不要だと判断したなら私はそれに従うつもりだ。私の考えは話したのだから、それにどう答えを出すかは虹夫さん次第。

 

以降、私から指輪の話はしていない。

一度お友達が「指輪どうするん?」なんて一緒に食事している時に聞いてきたものだから、ちょっと焦ってしまったが。そこは取り敢えず流した。

 

それから暫く経ち、お出掛けの帰り道。

少し時間が早いからどこかに寄ろうかとなったので、最近オープンしたばかりのリユースショップへ行くことにした。

 

新生活を始める際には使えるものは引き続き私のアパートから持ち込みたいけれど、20年以上も独り暮らしをしているので家具も家電もどれも年季が入っている。比較的新しく充分に使えるのなら、中古品で揃えるのも有りだと私は考えていた。

 

虹夫さんは中古品に抵抗はあるのだろうか。

 

衣料品からバッグのコーナーを回っていると、虹夫さんがいくつかのリュックを物色し始めた。

更に家電のコーナーでは冷蔵庫などを見ている。私の使っている冷蔵庫は単身世帯用なので、それでなくてもお酒を入れるスペースに苦労している。やはり大容量が必要になるだろうか。

 

ふとダイニングテーブルが目についた。椅子が二脚のシンプルなデザイン。これ、良いかも。

 

「別に使えるなら、中古で揃えてもいいと思ってるんよな」

 

虹夫さんの言葉に、どこかで感じていた緊張が解けた。

 

「じゃあ、こんなのも?」とダイニングテーブルを指す。

虹夫さんとしてはローテーブルで座布団を使うのでも良いと思っていたようだけれど、年齢も年齢なので最近私も膝に不安がある。虹夫さんも立ったり座ったりする際の動きが難儀そう。

 

「こっちの方が楽だよ!」とニコニコ推してみる。「それもそうか」と虹夫さん。

 

最終的には新居の間取り次第ではあるけれど、家具にダイニングテーブルも選択肢に入れてもらえて嬉しくなってしまった。

 

価値観の擦り合わせ作業は、これからまだまだ続く。

 

【連載】アラフィフ婚への道③前途多難を感じた食事会

3月初旬、両家の顔合わせが行なわれた。

 

福岡県や大分県では『かなめ打ち(要打ち・金目打ち)』と呼ばれている、結納の簡易版にあたる儀式だけれど、私たちは以前から格式ばったものは省くと話していた。仲人も立てないので、簡易版から更にシンプルに食事会という形にした。

 

事前に「結納」や「両家顔合わせ」でググってみると、会の進行について紹介している記事を見つけた。そこには開会の挨拶を新郎の父が行うと書かれていた。

そうか、そこ重要だな。迂闊であった。

早速虹夫さんにLINEを送る。

 

「顔合わせの進行どうする?」

「進行とは?」

「調べてみたら新郎のお父さんの挨拶から始めるらしいよ。お父さんにお願いしてもらっていい?」

「自分でも調べてみたけど、本人が挨拶するのもあるみたい。こちらでやるから大丈夫」

 

ふむ、ではお任せしよう。と、すっかり丸投げ感覚になる私。あとで慌てる布石である。

 

顔合わせの会場は以前から虹夫さんが懇意にしている支配人さんのいる料亭。支配人さんは私も面識があり、今回の件も快く引き受けてくれた。

 

激太りで着られる服がなく直前まで右往左往していたけれど、まぁなんとか様になるワンピースとショールを購入。昔兄嫁から頂いたペンダントをさり気なく身に着け、いざ出陣。

 

偶然にもこの日は大安で、天気も快晴。

 

虹夫さんのお父さんがお酒を飲むことを楽しみにされているということで、兄にも飲んでもらえるようにこちらは甥が車を出してくれて送迎してもらえることに。ありがとう、甥っ子君。

 

先に到着したのは私一家。さほど間を置かず虹夫さん一家到着。

 

座敷へ通されて、奥から虹夫さんのお父さん、向かいに私の兄。次いで双方の母が向かい合わせ。末席に虹夫さんと私。

 

早速虹夫さんが挨拶しようとしたところ、給仕さんから「まずは桜茶をどうぞ」と声が掛かる。

 

桜茶! おめでたい日にだけ供される華やかな飲み物!

姉の結納が実家で行われたとき、母から買いに行かされたのを覚えている。

 

それが、私のお祝いの為に供されている。祝ってもらえてるんだ、この私が……。

 

蓋を開けると、茶碗の中にはふわふわの桜の花びらが湯の中で揺らいでいる。可愛くて、優しい香りが漂ってきて、感極まる。

じっくり味わいながら頂く。

 

そして一息つくと、改めて虹夫さんからのご挨拶とご両親の紹介を始めた。お父さま、お母さまの紹介が済むと、今度は私に向かって手をさっと振った。次はそちらですよ、とばかりに。ん?

あ、次は私がこちらの紹介をするのか。当たり前か。

 

おどおどと席を立ち、父が20年前に他界しているので、代理という訳では無いのですが……、と兄と母を紹介した。

 

虹夫さんの音頭で乾杯をして、お食事がスタート。飲み物の注文で、お父さまが日本酒を「上から」とおっしゃったのには度肝を抜かれた。飲むとは聞いていたけれど、そうきましたか。

そしてそれに全く動じずに対応する私の兄。さすが酒飲み一家の長男だ。

 

終始和やかで楽しい会ではあったけれど、ひとつだけ私の反省点。

上記のように、私の席はお父さまからは一番遠い。その遠い席にいる私にも気さくにお酒を進めてくれるお父さま。いそいそとお猪口を持ってお父さまの席まで移動してお酌をして頂いて、お礼を言ってそのまま自分の席へ戻った私。

 

超の付く大失態!! そこはお酌し返さんかい!!

 

礼儀にうるさい兄の目の前でやってしまったことに気が付いたのは散会から数時間後。間抜けすぎるし、私らしいと言えば私らしい。

兄からお叱りを受けるかと思ったけれど、現在も特に何も言われていない。もういい大人なので、存分に恥をかけということかと思う。

 

他にも美味しい食事に集中してお母さまへもろくに対応出来ていなかったと思う。もう本当に気の利かない駄目な嫁が早くも露呈してしまった。

先が思いやられる。

 

食事会そのものは、その後も和やかな雰囲気のまま終了。両家ともすっかり打ち解けた様子で、私もその場ではホッとしていたのだけれど、後から後から反省点が浮かんできて精神が激落ちくん。

その話を虹夫さんにしても、特に反応はなし。気にしなくてもいいとも言わないし、これから気を付ければいいよとも言わない。

 

虹夫さんにとってはどうでもいいことなのだろう。

それならそれで、私は私で気が付いた限りは反省し、今後同じことは繰り返さないようにしていこうと思う。本当に自分が恥ずかしい。アラフィフなのに……。

 

長年好き勝手に生きてきたものだから、他者への気配り心配りが苦手なのは自覚済み。

今更感はあるけれど、私と一緒に生きていく選択をしてくれた虹夫さんを困らせたくないので頑張っていきたい。

 

【連載】アラフィフ婚への道②拒否権の行方

ゼクシィは買った。地方版にリゾート婚版など、いろんな種類があることも今回初めて知った。

 

ノートを買ってきて、思いつく限りに招待したい人の名前と希望の日取りを書き出した。

 

リミットは8月末。時間は無いぞ。当選を知った翌週には説明会の予約を虹夫さんに取り付けてもらった。

 

この時点でどこか虹夫さんが戸惑っているのが分かったが、敢えて問いただしはしない。とにかく私は佳いお日取りで憧れのドレスが着たかった。既にやや暴走気味である。

 

ここからは結婚式場からの許可を得られたので、会場名と当選したキャンペーンについても公開しようと思う。

場所は『天空(そら)の森セントクレアヒルズ』。キャンペーンでコラボしていたのは大分トリニータで、勿論A賞が当選していた場合に一緒に撮影出来ていたマスコットキャラクターはニータン。

 

あの丸くて可愛いニータンが、アラフィフのおいさんおばはんとレゾナックドーム大分でウェディングフォトを撮影していた可能性があったとか、なかなか笑えない冗談である。

 

週末のお昼前、私たちは会場に到着した。駐車場までお出迎えの待機をして頂いていて、とても気持ちが良い。

案内された席には、虹夫さんと私の名前入りウェルカムカードがさり気なく飾られていて、そこもおもてなしの配慮を感じて嬉しい。

 

私たちが当選したB賞で挙式をした場合の見積もりを見せて頂き、一通りの説明を受ける。

取り敢えずゲスト30人で算出。料理やドリンクについても平均的なコースを仮設定。

キャンペーン当選の特典で挙式費用とタキシード、ウェディングドレス、それぞれの着付料は無料。

ウェルカムグッズにトリニータグッズのレンタルが含まれているのはかなりありがたい。ゲストをお迎えする場所の装飾、まったく思い浮かばないので。ニータンにいてもらえたらそれだけで華やぐだろう。

 

ところで結婚式を挙げるにあたって重要なことがいくつもあるけれど、そのうちのひとつで何よりも真っ先に決めなければならないことがある。これが決まらなければゲストに声も掛けられない。

そう、日取り。

 

何度も言うが、リミットは8月末。それまでに日が佳くてゲストにも来て頂きやすい日を最初に決めなければならない。

今年は元日からもう佳いお日柄だったそうで、著名人が何組も元日の入籍を発表したのは記憶に新しい。

かく言う私たち共通の酒友で、かねてよりお付き合いしていたカップルもこの日に入籍している。

 

虹夫さんは縁起を担ぐ人ではないので、その辺りはかなり無頓着。入籍も挙式も、なんとなく都合が良い日があればそれでいいんじゃない? という感じ。

 

対して私は最低限の縁起を担ぐのは大切だと思っている。縁起を担ぐことばかりにこだわって周囲の都合を考えず、調和を乱すようでは本末転倒だが。

 

そこで私は虹夫さんに断ったうえで、例のノートを取り出した。

日付けと曜日、その日の六曜などの暦、そして何故その日を希望するのかという理由までを第1~4希望まで1ページにぎっしり。理由の主なものは、遠方の姉や妹家族が子供の夏休みに入っているから帰って来やすいだろうというもの。

 

隣からノートを覗き込んだ虹夫さん、絶句。

 

因みに今回希望を書き出すことで、『母倉日(ぼそうにち)』という言葉の日を初めて知った。

「母が子を育てるように天が人を慈しむ」という吉日だそうだ。慶事を行なう日、物事を始めるに日に適しているとのこと。入籍や結婚式には最良である。

 

幸いにも私が希望している日程はどれもまだ予約枠が空いており、今なら余裕で押さえられるだろうとのこと。

 

ここからは館内を案内して頂き、大聖堂も見学。

「いってらっしゃい」という優しい声に促されて、荘厳なBGMと共にふたりでバージンロードを歩く。真っ白な壁と高い天井、奥のステンドグラスから差し込む陽を浴びていると、益々気持ちが高揚してきた。

私、本当に虹夫さんと結婚するんだなぁ。届け出だけなのもまったく悪くは無いと今でも思うけれど、節目として式を上げるのもまた悪くないのかもしれない。

 

因みに『大聖堂』と名乗れるには世界的な基準があるそうだ。大きいチャペル建てたから大聖堂と銘打とうなんて、勝手な判断は出来ないらしい。

 

披露宴会場は8人掛けの円卓が6卓。増やすことは可能のようだが、現時点でゲストは親族含めて30人程度だと考えており、だいぶ余裕がありそうな印象。

 

衣装を管理するブライダルサロンでは、私の憧れジュリー・アンドリュース扮するマリアのウェディングドレスを着た画像(何故か白黒しか見つからなかった)を見て頂き、私の持つイメージを伝える。

 

再び最初の説明を受けたテーブルに戻ったのだけど、そこには「おかえりなさい」のカード。どれだけ細やかなのかセントクレアヒルズ。こういうのは本当に嬉しい。

 

一通り見学を済ませ、イメージが湧いたところで改めてこちらで成約するか否かを確認。

一般的には複数の会場を見学して充分に比較してから式場を決定するそうだが、私たちはキャンペーンに当選したからこちらへ赴いた。特に他所を見学する予定も無いし、見積もりの金額も思いのほかお手頃。

 

ここで更にお金の話。

成約には申込金の100,000円が必要で、それは後日でも良いけれど、本日(即日)成約と支払いをすれば邸宅利用料が50,000円割り引かれるとのこと。翌日以降の支払いだとその割引は適用されない。

ぬぬ、50,000円は大きい。

更に成約してからでなければ希望の日程を正式に押さえることは出来ず、明日以降にもその希望日が埋まらないとは限らない。

 

暫し考える私と虹夫さん。たぶん、そこで虹夫さんはかなり葛藤したと思われる。

既に書いたように、虹夫さんは日取りにこだわりはない。だが、私はノートにびっしり理由まで書き出すまで日取りに思い入れがある。

優しい虹夫さんは私の気持ちを汲み、その日取りを押さえるために即日支払いを了承。

ただし、お互いの手持ちが足りない。

 

セントクレアヒルズさんには無理を言って時間をもらい、急遽ATMへGo! そしてとんぼ返り。

ふたりでお金を出し合って無事に申込金を支払い、成約。正式に私の第1希望の日程も予約が完了した。

 

結婚式場を検討している方は、念の為に見学の際にはお財布に余裕を持たせておくか、クレジットカードを用意していくことをお薦めする。私はちょっと慌てた。

 

後日、恒例の飲み歩きデートの中であのノートの話になった。

ぎっしり書き込まれた日取り希望のページを見たとき、虹夫さんはこう悟ったという。

 

「僕に拒否権は無い」

 

ちょっと待って。そんな言い方をしたら、まるで私の圧に押し負けたみたいじゃないか。

暦は勿論、理由まで細かく書いた方が説得力もあって虹夫さんにも納得してもらいやすいと思っただけなのに。

不本意な婚約判子ムーブ再来。

 

なんだかモヤっとするけれど、夏に向けて新たに目指すものが出来たのは良いことだと思っている。

次は両家顔合わせ。ひとつひとつ、虹夫さんと共に着実に課題をクリアしていきたい。

 

 

 

【連載】アラフィフ婚への道①冗談から駒

お互いの実家への挨拶を済ませた日と前後するのだが、ある日虹夫さんから「ダメ元で応募してみようか」とLINEがきた。

 

それは結婚式場と地元サッカーチームのコラボキャンペーン。

ドームのスタジアムでチームのマスコットキャラクターと前撮り&挙式プレゼントとのこと。

 

私と虹夫さんは元々挙式をする予定は無く、そもそも私は入籍はおろか事実婚で良いと思っていた。それがこの2年半のお付き合いの中で、「まぁ、届け出だけでも……」となった。

もし当選したら、記念にもなるしね。

 

「良いですね」と私も返し、早速虹夫さんはキャンペーンに応募してくれた。

その日のうちに結婚式場から応募完了のお知らせが虹夫さんに電話であったと言う。その際に当選した際の注意事項を伝えられたそうだ。

当選して挙式をする場合、『規模の大小を問わず披露宴必須』とのこと。

 

なるほど、当然ですね。前撮りと挙式を無料でプレゼントしてそこで終了されてしまっては、結婚式場にとって何も得られない。

 

注意事項を了承の上、抽選結果までの数日を待つことに。

でも、お互いに当選するとは思っていない。なんと言っても私たちは『アラフィフ』なのだから。

こんなおじさんとおばさんが、サッカーチームのマスコットキャラクターと並んで笑顔でスタジアムでウェディングフォト。痛い、痛すぎる。キャラクターが可哀そうだ。

 

大前提として、お互いにそのサッカーチームへの思い入れは実はない。地元だから成績くらいはニュースで耳にはするけれど、一喜一憂する程の興味もない。

応募完了の電話の際にも、サッカーチームのサポーターなのか確認されたそうだ。

 

もしこれで当選したら、このチームを純粋に応援していてキャラクター大好きで応募していた方に申し訳ない。

 

やがて、遂に明日が当選結果発表の日。当選か否かに関わらず、連絡はくる。

週末のお楽しみ、いつものお店で飲み歩きしている中で、「もし当選したらどうする?」と虹夫さん。

「それはそれで、面白いんじゃない?」と笑う私。

 

翌日の昼。虹夫さんからLINEがくる。

なんと、B賞に当選!

上記のスタジアムでの前撮りと挙式はA賞の景品で、私と虹夫さんが当選したB賞はスタジアムでマスコットキャラクターとの撮影は含まれていない。

良かった。可哀そうなキャラクターは生まれなかった(笑)

 

と言うか、B賞とはいえ当選しちゃったぞ。え、挙式? するの?

 

動揺しつつも、披露宴必須という条件もある。

実は私たちは、結婚は届け出だけで良いとは思っていたが、友人たちを招待してご報告会をするつもりではいた。とても多くの友人たちに見守ってもらっていたし、祝福して頂いているので、それは外せないと思っていた。

 

でも、そうか、披露宴か。規模は問わないとのことだったので、少人数でも良いのだろう。

それならば、せっかく結婚式を挙げるのだからそこで披露宴をして友人たちを招くのも素敵かもしれない。

 

そう思った途端、私がドレスを着るという現実に愕然とした。

どうしよう、この3年で本気で太り過ぎた。着られるドレスがあるとは到底思えない。

 

今回のプレゼントの中には新郎新婦の衣装と着付け代も含まれている。ドレス……。

 

太ったのも勿論だが、加齢による張りも艶もない肌も深刻だ。デコルテなんて晒せる訳がない。

 

10年以上前に結婚など諦めていたのに、まさか今になって結婚どころかウェディングドレスを着ることになるとは。当時の私からは想像も出来ないことだ。

 

それなのに、あぁそれなのに、どうして脳内に子供の頃に観て感動した映画のワンシーンが流れているのだろう。

 

ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』。1965年の作品なので、もう公開から60年ほど経つ。母が好きだった映画で、私も小学生の頃にテレビで放映されていたのかレンタルビデオでだったかで観て以来、ずっと心に残っていた。

高校生の頃にサントラCD、社会人になってからDVDも購入した。

 

その作品の中に、主人公の結婚式のシーンがある。

元修道女見習いということもあってか、そのウェディングドレスは極めてシンプルだった。豪華な宝石も、華やかな刺繍もない、一切の無駄のないデザインだけれど、露出は少なくとてもエレガントな印象を受けた。幼心に、ウェディングドレスとはこういうものだと感じたのを覚えている。

 

その後、宝塚や『ベルサイユのばら』に夢中になったころはロココ王朝風のドレスに憧れたこともあったが、この歳になり、原点に還ってきた。

ウェディングドレスを着るのなら、あの映画の主人公のようなドレスがいい。

 

なんだか気持ちが高まってきてた。この勢いのまま、なんとゼクシィ(大分版)を購入。

ざっと読んでみると、決めなければいけないことが事細かに紹介されている。早速ノートを買ってくると、招待したい親族と友人の名前を書きだした。

虹夫さんにそのページの画像を送ってみたが、「早くない?」と冷静に返されてしまう。

 

いやいや、このキャンペーンの最も重要なところを忘れてはいないか。

当選して挙式をする場合、今年の8月末までに実施しないといけないのだぞ!

 

時間をたっぷり掛けられるのなら焦りはしないが、リミットまで半年しかないのだ。悠長に構えてはいられない。希望の日取りも決めておいた方が良くないか?

 

「いつでもタイミングの良い日でいいんじゃない?」と、虹夫さん……。

 

俄然やる気の出て来てしまった私と、マイペースな虹夫さん。

お互いの違いも丸っと受け入れた私たちだけれど、結婚式の準備で喧嘩をするカップルというのもよく聞く話。喧嘩なんて誰もしたくないのだし、きっと私たちは大丈夫! と、思いたい。

 

【連載】緊急号外「緊張の初めまして」

本日は、わたくし妙春の実家と虹夫さんのご実家、それぞれにご挨拶に伺ったときのお話をしたいと思います。

 

 

去る建国記念の日、私たちはそれぞれの実家に結婚のお許しを得に挨拶に伺うことになった。反対される心配は一切なかったが、まぁ形式的に筋は通すべきと考えて。

 

虹夫さんのご両親は自営業をされているので時間の自由は利くとのこと。一方私の実家は父が早くに他界しているので、個性の強い母だけでは不安で絶対に兄にも同席してほしいと懇願。三交代勤務の兄に多少無理をお願いして、連日夜勤の合間に時間を取ってもらうことになった。

 

当日は朝10時に虹夫さんのお迎えを受けてアパートを出発。まずは私の実家に向かう。

初めてみるスーツ姿の虹夫さんに、秘かに惚れ直していたのはここだけの話だ。

 

私の実家は郊外の、更にやや奥まったところにある。過疎化が進んでいて、まず車も人通りもない。

 

先月私ひとりで実家に寄った際には玄関の外には大量の植木鉢。上がり框には居住者の数以上の靴。仏間に溢れる兄の仕事道具やメンテナンスアイテムが山のようにあった。

 

それが、なんということでしょう。すっきりと片付いているではありませんか(CV加藤みどり)

 

鬱蒼としていた仏間はさっぱりと、また清々しく、更に華やかにも姪の三段雛飾りまで置かれていた。姪は現在25歳。実家からは出て、独立している。

その姪の雛飾りが出されていることに少々の疑問は感じたが、母の「嫁に行きそびれんように出しといて、て言うから」に苦笑い。

 

私という、もう絶対に嫁に行かないと思っていた叔母が奇跡の嫁入りを決めて、思うところがあったのかもしれない。私と違って彼女にはきちんと結婚願望があったことに、叔母ながら安堵したのも事実だ。

 

ご挨拶そのものは、虹夫さんの堂々とした自己紹介とこれまでの簡単ないきさつから始まり、結婚をしたいと考えていることを改めて伝えた。

母からは「もうこの子が結婚するなんて思ってなかったです」と言われてしまい、ついつい「私もそう思っていました」と返してしまった。

 

その後は虹夫さんのお仕事やご家族の話、今後どのように生活していく予定かなどいろんな話をしていったのだけれど、途中虹夫さんが正座を崩そうとして膝がつらそうに見えた母。

「あ、これを……。これに座ってください」と、中座して何かを取りに行った。たぶん脚の長めの座椅子でも持って来てくれるのだろうと思った。

戻ってきた母のその手には、ピーナツ型のバランスボールが抱えられていた。

「これどうぞ」

「いやいやいや、寧ろ危ないから!」

異口同音に慌てて止める私と兄。激しく動揺している虹夫さん。そりゃあそうでしょうとも。

 

昔から誰も予測もしないことをしでかす母である。絶対にこの日もなにかをやらかすと思っていたが、まさかの来客に座布団代わりにバランスボール。

 

これが妙春宅でのハイライトであった。

 

後日の両家顔合わせ(かなめ打ち)の食事会を約束して、まずは私の実家を辞した私と虹夫さん。

丁度時刻はお昼時。簡単に昼食を済ませて、今度は虹夫さんのご自宅に向かう。

 

道中、虹夫さん宅へ持参する手土産を買いに、街の洋菓子屋さんへ。焼き菓子の詰め合わせを購入。

因みに虹夫さんも妙春宅には別の洋菓子屋さんで購入したお菓子と、ご実家で採れたお野菜を手土産として持参している。私は仏壇に挨拶をしていたので手渡していた瞬間を見てはいないけれど、兄は新鮮でまっすぐなキュウリに感動していた様子だった(声から判断)

 

まるで狙ったように予定通りの時間に虹夫さん宅へ到着。

玄関先でまずご挨拶をしようと思ったら、どんどん勧められてあっという間に室内へ。そこへ虹夫さんのご両親登場。

 

優しそうで大らかな印象で、明るく私を迎え入れてくれた。

緊張しながらも紙袋から手土産を出し、紙袋を下げつつお菓子を差し出す。

「こちらどうぞ召し上がってください」と、つまらいものですが的な遜りは言わないという目標は達成できた。

 

第二関門の自己紹介もなんとか言えたところで、虹夫さんのお母様が言った。

「この子はもう結婚はしないと思ってた」

うちの母とまったく同じことを言われて、思わず虹夫さんと大笑い。

 

まぁ言うてもアラフィフですからね。身内は完全に「こいつはもう生涯おひとりさまだな」と結論付けていてもおかしくない。

なんといっても、誰よりも当人たちがそう思っていたのだし。

 

ひとしきりお話も弾み、そろそろお暇という頃合い。

この後はふたりでお疲れさま会として飲みに出る予定だったので、虹夫さんは普段着に着替えるため一旦自室へ。

 

応接室には虹夫さんのご両親と私の3人が残された。内心かなり緊張してしまったのだが、お母さまが神妙な面持ちで言いづらそうに口火を切った。

「あの子の病気のことは……」

 

虹夫さんは昔患った病気の影響で大手術を経験しており、その経過で現在は片足を引きずるように歩く。それは生涯続くし、それがこれまでの人との関わり合いに影響を及ぼしたこともあると聞いている。

 

ご両親としては、それでも構わないのか気掛かりだったのだろう。虹夫さん本人が席を外したこのタイミングで聞いてくるのは当然だし、私も覚悟はしていた。

 

酒蔵巡りツアーに一緒に参加していると、飲み仲間から「彼氏さんだいぶ酔ってない? 大丈夫?」と声を掛けられたことがあるが、あれは千鳥足ではありませんよ、と返したことも一度だけではない。

何度も参加しているうちに理解してもらえたのか、今では誰もそのようなことは言ってこなくなった。

 

「はい、伺ってます」と私はさらりと返した。そのつもりだ。

ご両親がどう感じたかは分からないが、少なくとも私は虹夫さんの身体については「お互いメタボまっしぐらだからどうにかしようぜ」くらいしか心配事はない。

 

完全にご両親に安心してもらえたかは自信がないが、私はそのあたりの次元はもうとっくに乗り越えたと思っている。

 

それよりも、私にはこの小一時間の間に物凄く気に掛かっていることがあった。

こちらへ伺ってすぐにご両親に差し出したお菓子の存在である。

 

テーブルに包装されたまま置かれたお菓子の、『お早めにお召し上がりください』のシールが丁度こちらも向いていたのだが、それがどう見てもさかさまなのだ。

 

私、お菓子を裏表逆に差し出してしまったぁぁぁっ!!!

 

ど、どうしよう。包装紙の継ぎ目が無かったから、てっきりこっちが上面だと思っていたのに。

話の途中に「すみません、裏返しでした(てへっ)」と引っ繰り返すか? いやいや、そんな突拍子もないこと、出来るわけがない。でもこのまま私たちが帰った後にご両親に気付かれて呆れられるかもしれないと考えるのも肝が冷える。

 

虹夫さんの病気という本来なら重たい話をしている間も、私の頭の中は「お菓子の箱をどうしよう」しかなかった。よく分からないドキドキの時間である。

そのうち、お父様が応接室の調度品の話題を始めた。虹夫さんの曾祖父にあたる方が収集していた品々とのことで、部屋の外にもあると見せてくれることになった。

 

先にお父様が部屋を出て、続いてお母様。そしてそのあとを追うように私が付いて行く形になったのだが、私は「今だぁぁぁっ!」とばかりに電光石火の早さで箱に飛びつきスパーッン! と引っ繰り返すと何事もなかったように廊下に出た。

 

この瞬間が、虹夫さん宅でのハイライトと言えよう。中身が焼き菓子で本当に良かった。

 

古い日本画を見せて頂きながらお話をしているうちに、着替えを終えた虹夫さんが戻ってきたので、ご両親のお見送りを受けて私たちはおいとました。ようやく緊張からの解放である。

 

改めて、こちらの大らかな印象を受けたご両親が私の義理の両親になるんだな、と考えると不思議な気持ちになる。

 

どちらにも言われたことなのだけど、当人がどう考えているかはともかく、やはりこのままひとりでいるのは心配だったと。こうして将来寄り添い合える相手が出来たのは本当に良かったとも。

 

いくつになっても親は子を気に掛けているものだと言うけれど、これで安心してもらえただろうか。

 

両家のご家族にご挨拶を済ませ、お互いの兄弟にも報告し、これで一旦の大きな節目は終えられたと思っている。もちろん、まだまだこれからすべきことも決めなければいけないことも沢山ある。

でもまぁ、それはおいおい。

 

次はかなめ打ち。こちらも何かしらハプニングが起きそうな予感がしている。

 

手始めの家計簿

独り暮らしを始めた当初、毎年家計簿を付けていました。だいたい半年くらいで挫折していましたが。

 

この度、確実に家庭を持つことになったのを機に改めて家計簿を付けようと決心しました。今度は途中でやめたりしないぞ。この先は自分のお金だけの管理では無くなるからね。

 

そこで書店で家計簿を購入。大抵の家計簿は1月1日始まり。月末が給料日ならそれで良いけれど、私は月の半ばが給料日。家計管理の途中で突然お金が増えると、混乱してしまいます。

この辺りが、私が数字に弱くいつまでもお金が貯まらない由縁かもしれません。

 

でも、事態はそれを許しません。

 

虹夫さんは数字に強いタイプなので出来ればお任せしたいのですが、それは甘えすぎでしょう。

 

手書きで日付と曜日を書き込めるタイプの家計簿を購入しました。

 

お給料が入って、早速収入金額や支出予定額を書き込んでいきます。その時点で残額は僅か。

絶対に急遽欲しくなってしまうものや、緊急の出費というものはあります。早くも赤信号です。

 

そのうち、電気代とガス代の請求が届きました。電気代はいつもと大して変化はなかったのですが、なんとガス代が前月より2000円も増! は? なんで?

本気で目ン玉飛び出るかと思いましたよ。

 

しばらく考えて、年末年始はお料理を頑張ったことを思い出しました。虹夫さんに振る舞ったお料理の割合が大きい? でも、それだけでこの金額ということは完全に二人で暮らすことになったらもっと数字は跳ねあがるということか。

これまで私ひとりということで、極端に料理なんてしてこなかったものな。ガス代が2000円を切った月もあったもの。

 

これは今後の見通しを立てる為にも、良い教訓になりましたね。ふむ。

 

入籍はもう暫く先で、同居もそのタイミングの予定なので、当分はこうして家計管理の勉強をしようと改めて気を引き締めたのでした。

 

結婚をしても薄給ながら私は仕事を続けるし、それは虹夫さんとも特に話した訳では無いけれど了承されています。今の収入なら、おそらく虹夫さんの扶養には入らないでしょう。

お互いに自身の収入のどのくらいまでを家計に入れるかとか、具体的な話はまだなんにもしていないけれど、そういったお金の話も今後は大切になると思います。

 

たぶん私が考えている以上に、虹夫さんは口には出さないけれどいろいろ考えているんだろうな。

 

私、これまで本当にどんぶり勘定で実は貯蓄もまずありません。今後生涯おひとりさまのつもりではいたけれど内心戦々恐々だったんですよね。

今からしっかり家計管理するとして、どれくらい老後に備えることが出来るのだろう?

え? もう老後に片足突っ込んでる? それは確かに事実ですね。遅きに失してしまいました。

 

その限られた残り少ない時間を、虹夫さんと如何に楽しく有意義に暮らしていけるか。

私が虹夫さんに何をしてあげられるか。

金勘定苦手、片付けも苦手、すぐ酔っ払う、へたれですぐ泣く。

こんなへっぽこな私と一緒になろうと言ってくれる虹夫さんです。大切にしないと罰が当たります。

 

今はなんとか部屋の状況を維持出来ているので、次はお金の管理が完璧になれるように頑張ります。あ、お料理もせめて人並に出来てレパートリーも増やせるように頑張らねば。

 

実は来月に、いよいよお互いをお互いの家族に紹介、ご挨拶することになりました。

私の母や兄夫婦には、一昨年の大晦日に偶然鉢合わせてしまってはいますが、正式な挨拶はしていません。

 

私の実家で、事件が起きない訳がない。今からかなり心臓に悪いのですが、次にブログにあげるのはその日の出来事になると思います。

 

どうか何事もなく平和に終わりますように。

虹夫さんのご両親に受け入れて頂けますように。

 

それでは、次回のハプニングのご報告を楽しみにお待ちください。

本日はお読み頂きありがとうございました。

 

あれはプロポーズだったのか否か

新年とっくに明けてました、おめでとうございます。

 

今頃になって今年最初のブログですが、ここで心機一転。状況が一歩前進したのもあり、当ブログに少々の変更を加えました。

 

変更点①

タイトルを『妙春堂の日常』から『―妙春堂の日常― アラフィフ婚のすゝめ』に変更しました。

 

変更点②

お相手の方の呼び方を、『レインボーさん』から『虹夫(にじお)さん』に変更します。

 

虹夫さんには了承を頂きました。ありがとうございます。

 

 

さて、大晦日に更新した前回のブログ。前述の「一歩前進」した切っ掛けを綴ったわけですが、読んだ虹夫さんからは「ぶっちゃけたなぁ!」と驚かれて笑われました。貴方がしたことですよ?(笑)

 

補足を兼ねて改めて振り返りますと、12月の誕生日を間近に控えた頃に虹夫さんから

「ぶっちゃけて聞くけど、誕生日プレゼントなにがいい?」

と聞かれたのが事の発端です。

 

そもそも昨年の夏、結婚も視野に入れてのお付き合いだと改めてお互いの認識を確かめて以降、私はいろんなことを準備しなければいけないと思い始めました。

汚部屋脱却もそのひとつで、今も時々虹夫さんのチェックを受けながらなんとか散らかった部屋をキープしています。綺麗に片付いた部屋にはまだまだなのが情けないところですが。

 

料理も極力するようになりましたし、社会復帰してからはお昼はお弁当を作るようになりました。

虹夫さんから「おにぎりくらいは作ったら?」と言われたのが大きいんですけど。

 

そんな中で婚姻届を役所でもらってきたのはかなりのフライングだとは思いますが、その際に気になったのがそう、判子です。

 

選択的夫婦別姓の法制度が整う目途など立たない現状、結婚後は私が虹夫さんの姓を名乗るのが自然です。そうなると判子を作る必要があります。虹夫さんの姓は少々珍しいので、シャチハタでも既製品はありません。

 

因みにシャチハタの既製品は、シャチハタの通販サイトからも確認できることを最近知りました。便利な世の中になりましたね。

 

百円ショップでもその名前は見当たらず、これは完全受注か~、お金掛かるな~、なんて思っていたところ、偶然とあるホームセンターで虹夫さんの名前の認印を見つけたのです。これは物凄く珍しいことでした。言うまでもなく、即買いです。

 

気が早いとは思いつつ、こうなるとシャチハタと銀行印も欲しいな。どうせいずれ必要になるのだし。

 

そんなことを考えている時の、「誕生日プレゼントなにが欲しい?」だったのです。

そりゃあもう「判子」一択でしょう。

 

その後、実際の誕生日には別のプレゼントを頂きましたが、クリスマスイブの前日に本当に素敵なシャチハタと判子をセットで手渡され、晴れて私たちは婚約となりました。

 

ある日、貰った判子を眺めつつ、これが「婚姻届に判子捺して」だったら強引な逆プロポーズだったよな~なんてふとよぎったのですが、いや待てよ? 判子の現物要求するのもプロポーズにならない? 寧ろ、捺印を迫るより露骨じゃね?! と気がつきました。

 

うわ、ヤバい。私、また無自覚にやらかしたわ。

 

違うんだよ~! 本当にただ欲しかっただけで、こちらから結婚を迫った訳じゃないんだよ~!

 

でも、やはりと言うかなんと言うか、この出来事は私からのプロポーズだとお友達には認識されてしまっており、「やるなぁ」「凄ぇなぁ」「押しが強い」「圧が凄い」との評価が寄せられております。

 

私自身はただただ甚だ不本意ではありますが、結果的には収まるべきところへ着地したということで、虹夫さんとは納得しております。

 

今後、住まいや入籍の時期など決めなければならないことは多々あります。これまで自分を甘やかせられるのは自分だけだと、本当に自分に甘々な生き方をしてきたので、この歳になってまったくの他人だった人との共同生活が上手くやっていけるのか本心では自信がありません。

虹夫さんは本当に優しい人なので、そこに図々しく甘えてしまう未来の自分が垣間見えて、怖くなることもあります。自分のだらしなさは、自分である私がよく知っています。

 

焦らず、迫らず、思い詰めず、ざっくりと定めた次のポイントを目指して、明日からも着実に前進したいと思います。

 

それでは、本日はこの辺で。

今年もよろしくお願いいたします。